篠原涼子と市村正親が離婚の理由なぜ?馴れ初めは不倫から略奪婚だった?!

2021年7月24日、篠原涼子さんと市村正親氏の離婚が発表されましたね!

おしどり夫婦とも言われと仲の良い2人の篠原涼子さんと市村正親氏ですが、なぜ離婚に至ってしまったのでしょうか?

今回は、篠原涼子さんと市村正親氏の離婚について、離婚理由や経緯、子供の親権などの今後について、24歳もの離れた超年齢差婚で不倫から略奪婚?とも言われた2人の馴れ初めについても、調べお知らせします。

画像引用:スポーツ報知

篠原涼子と市村正親が離婚の理由はなぜ?子供の親権は篠原涼子?

2021年7月24日、篠原涼子さん(47歳)と市村正親氏(72歳)が離婚を発表しました。

篠原涼子さん、市村正親氏が、それぞれ離婚に関してコメントを発表しています。

コメントでは、

  • 不倫などによるケンカ別れではない、円満を協調
  • 長男と次男の親権は市村正親が持つ
  • 慰謝料や財産分与は無し
  • 2人は「新たなカタチのパートナー」となり、子どもを支えたいとしている

ということが分かります。

また、2人は異例の2ショット離婚写真も公開し、円満離婚を強調しました。

画像引用:スポーツ報知

市村正親の離婚発表コメント

夫婦となり15年、子宝にも恵まれ、子どもの成長を見ながら、これ以上ない生き甲斐を感じて、楽しく、充実した日々を家族四人と過ごしてまいりました。
又お互いに役者として、それぞれの活動を尊重し支え合い歩んできました。
涼子は出産のため一時活動を休止しておりましたが、子育ての傍ら皆様のご支援により活動再開しまして、徐々に出演作も増え活発になっていきました。
そんな中、昨年のコロナによって撮影中は家庭内感染を防ぐ事からも、別居し役者業に取り組む生活をするようになりました。
しかし作品が続いたことで別居が基本のスタイルとなり、夫婦、親、互いに役者として、新たなカタチを考えるようになりました。
私と涼子は言うまでもなく父として、母として可愛い子どもたちと繋がっています。
そして同業だからこそ理解し合えること、また何より私も女優篠原涼子の一ファンとして、彼女がより一層女優として輝き、母としても生きていく道を歩ませたいという思いに至りました。
涼子との出会いは私の人生最大の喜びです。
そして可愛い子どもたちと出会わせてくれたことを心から感謝しています。
尚、人生の先輩である私の強い希望で、親権は私が持つことを受け入れてくれました。
これからはそれぞれ役者として、親として、新たなカタチのパートナーとなり、子どもを支えていきたいと思います。
今後とも篠原涼子、私と変わらぬご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
市村正親

引用:NEWSポストセブン

篠原涼子の離婚発表コメント

舞台俳優の市村さんからは結婚する前も、してからも学ぶことばかりで尊敬の念にたえません
この姿勢は今もこれからも変わる事はありません。
未熟な私を常に導いて気遣ってくれる大切な存在です。
今の私があるのも市村さんの大きな力のお陰だと思い感謝しております。
なのにこのような状況になった事、なかなか理解しにくいかと思いますが、私たちなりの新しい形・環境を作って参りたいと二人で話し合いました。
親権に関しましては父の背中を見せて育てていきたいとの市村氏の希望と父のようにたくましく育って欲しいとの私の願いが一致し市村氏が持つことを子供たちとも話をしまして決定致しました。
私も、これまで以上に母として子供たちとふれあい、話し合い力強く支えていきたいと思います。
最後に、これまでそれぞれの活動をご支援頂きました関係者の皆様、家族を暖かく見守ってきて頂きました皆様には、残念なご報告となり誠に申し訳なく思いますが、今後とも、市村正親ならびに篠原涼子を変わらぬご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
篠原涼子

引用:NEWSポストセブン

篠原涼子と市村正親の離婚の経緯や理由は?

篠原涼子さんと市村正親氏2人の離婚のコメントからも、2人はケンカ別れでないことがわかります。

しかし、おしどり夫婦とも言われた仲の良かった篠原涼子さんと市村正親氏が、なぜ、離婚に至ったのでしょう?!経緯や理由をまとめました。

篠原涼子と市村正親の離婚の経緯

  1. 昨年2020年3月初頭、篠原涼子のドラマ「ハケンの品格」の撮影開始を機に、コロナウイルス感染対策として、篠原涼子と市村正親の別居生活が始まる
    篠原涼子の所属事務所はこの時「撮影で大勢と接することもあり、家族への新型コロナウイルス感染を防ぐ一時的なもの」と説明。同作の撮影が終わり次第別居を解消するとも説明。
    篠原涼子がドラマ『ハケンの品格』やNHK連続テレビ小説『おちょやん』や主演を務めるNetflix配信ドラマ『金魚妻』などの撮影が続き、篠原涼子が、それまで家族で住んでいたマンションを出る形で別居開始。
    篠原涼子は、それまで家族で住んでいたマンションから車で10分ほど離れた場所に在る1ヶ月80万円の1LDKの高級賃貸マンションへ居住。
    市村正親と子供たちが暮らすマンションには、食事など身の回りの世話をしてくれる家政婦を雇うようになる
  2. 今年2021年6月上旬、篠原涼子、家族達が暮らすマンションへ一時帰宅。
    市村正親が大阪での舞台出演(出演舞台「モーツァルト!」、モーツァルトの父・レオポルト役、大阪梅田芸術劇場メインホール、2021年5月25日~6月7日)のため不在となり、
    篠原涼子の“一時帰宅”によって夫婦が揃うことは無かった
  3. 2021年7月24日、離婚届提出、離婚発表(15年半の結婚に終止符)

引用:女性自身

篠原涼子と市村正親の離婚の理由はなぜ?

篠原涼子さんと正村正親さんの離婚は、ケンカ別れではないけれど、人生の価値観、子供に対する価値観の違いがが原因のようです。

  • 篠原涼子は、仕事優先、仕事が好き。子供は大切だけれど男の子の子供は親がベタベタしないほうがいいという考え。
  • 市村正親は、子供が小さい内は母親にできるだけ側にいてい欲しい。母親(篠原涼子)が、仕事の付き合いだからと、子供を置いて夜遅くまで出歩くのが許せなかった。

と、篠原涼子さんと正村正親さんの間で、子供に対する価値観の違いが生じ、溝ができてしまったようです。

篠原涼子さんと正村正親さんと2人のみ溝は埋まらず、離婚を切り出したのは、篠原涼子さんからであり、その代わりとして中学生と小学生の2人の子供の親権は正村正親氏に譲ったようです。

「市村さんは“子どもが小さいうちは、できるだけ母親がそばにいてほしい”という考えで。篠原さんは逆に“男の子は親がベタベタしないほうがいい”と。“仕事を断り続けたら居場所がなくなる”という焦りもあったのかも」(同・舞台関係者)

“仕事の付き合いだから”と、母である篠原が子どもを置いて夜遅くまで出歩くことも、市村は内心許せなかった。

「離婚を切り出したのは篠原さんだといいます。市村さんは“したいようにすればいい。その代わり、子どもたちとは俺が暮らす”って。最後は篠原さんが折れた」(同・舞台関係者)

引用:週刊女性PRIME

篠原涼子と市村正親の離婚の予兆はあった?!

篠原涼子と市村正親の離婚の予兆は以前から在ったようです。

  • 篠原涼子さんが友人男性やママ友たちと“夜遊び”する姿が何度も週刊誌にキャッチされていた
    16年には江口洋介さんと深夜まで2人でデートを目撃されてのも一例
  • 篠原涼子さんの別居は、事務所は“コロナの家庭内感染対策”と説明したけど、中学生と小学生の子どもを残して、母親が1年以上家に帰って来ない状態は異常
  • 篠原涼子さんは、女優という仕事が好き。ここ何年かは、子育てについて篠原涼子さんの役目は息子たちの学校行事に顔を出すくらいだった。学校の送迎は、市村正親氏が行っていた

引用:週刊女性PRIME

篠原涼子と市村正親の馴れ初めは?略奪愛?から結婚へ

今回、離婚に至ってしまった篠原涼子さん(47歳)と市村正親氏(72歳)ですが、24歳差という2周りも離れ親子ほど離れた年の差婚を果たした、2人の馴れ初めについて、振り返りたいと思います。

篠原涼子と市村正親の生年月日

まず2人の生年月日を確認

  • 篠原涼子:1973年(昭和48年)8月13日生まれ
  • 市村正親:1949年(昭和24年)1月28日生まれ

24歳差と2周りも離れています。

篠原涼子と市村正親の出会いは、演劇「ハムレット」共演(2001年)

画像引用:シネマカフェ

蜷川幸雄演出の演劇「ハムレット」で、篠原涼子さんと市村正親氏が共演し、2人は出会います。

篠原涼子さんと市村正親氏は、オフィーリアとハムレットという恋人同士を演じました。

篠原涼子さん27~28歳、市村正親氏51~52歳の頃です。

篠原涼子さんは、もともと女優としてでなく歌手としてデビューしました。
1994年に「愛しさと切なさと心強さ」という曲でダブルミリオンのメガヒットしたもの、それ以降目立った活躍はありませんでした。

歌手から女優業へ転換するものの、主役でなくゲストや準レギュラーなどの役が多かったようです。

そんな中で、篠原涼子さんは、市村正親氏との共演・出会いが転機となります。

篠原涼子さんは初舞台で戸惑っていましたが、劇団四季の看板俳優として活躍していた市村正親氏が、そんな篠原涼子さんを精神的に支えたそうです。

そして、篠原涼子さんは、この作品への出演がきっかけで、以後、積極的に芝居に取り組めるようになったとのことです。

篠原涼子さんにとって、市村正親氏と出会ってなかったら、今の大女優の篠原涼子さんはなかったかもしれませんね?!

当時、石村正親氏にとって篠原涼子さんは、親子のような関係で娘のような存在だったそうです。

しかし、徐々に恋愛関係になっていったようです。

篠原涼子と市村正親は不倫?から略奪婚?へ

篠原涼子さんと市村正親氏が出会った当時、市村正親さんは結婚していました。

市村正親氏の奥様は、劇団四季の女優・八重沢真美さん(1962年1月26日生まれ)という方でした。

1984年に結婚し、2003年5月に離婚しています。市村正親氏と八重沢真美さんは約20年にわたる結婚生活の後、離婚されたのですね。

篠原涼子さんと市村正親さんが出会った頃、実は、すでに奥様との結婚生活は破綻していたそうです。

市村は劇団四季の仲間だった八重沢真美を妻に持っていた。篠原と当時より交際していたとすると、不倫関係になる。しかし、篠原と出会う以前から市村夫妻の仲は良好ではなかったという。2002年10月に別居が報道されたが、「妻が十数年ぶりに劇団四季の舞台に復帰するために仕事を優先する」といった理由であった。その後、03年5月に市村の離婚が成立し、2人にとって法的な障害はなくなった。

引用:リアルライブ

2002年10月には市村正親氏と前妻・八重村真美さんの別居が報道されてもいました。

市村正親さんが女性からモテすぎていたことが原因とも言われています。

そういった事情もあってか、篠原涼子さんと市村正親氏との結婚の際には、あまり批判的な声もなかったようです。

篠原涼子の父が結婚に猛反対

篠原涼子さんの市村正親氏の結婚は、2002年の市村正親氏の離婚後すぐだったかというと、そうではなく、実は篠原涼子さんの父が2人の結婚に猛反対したそうです。

その理由は、篠原涼子さんと市村正親氏の2人の年齢差は24歳と、まさに親子のような関係とも取れます。男手ひとつで篠原涼子さんを育てた篠原涼子さんの父親としては、市村正親氏が自分と同世代であることは複雑な心境だったようです。

篠原の父を説得の末、結婚(2005年)

2人は篠原の父を説得の末、
篠原の父は、以下の条件に結婚を承諾したそうです。

  • 早くに子供をつくること
  • 生涯娘と共に過ごすこと

そして、2005年12月に晴れて、篠原涼子さん(当時32歳)と市村正親氏(当時56歳)は結婚を発表、結婚会見も開きました。

結婚から約2年後の2008年5月に第一子の長男が誕生しています。

結婚式・結婚披露宴(2010年8月)

様々な事情で挙式・披露宴を行っていなかった2人ですが、

2010年8月に、篠原涼子さんの故郷・群馬県内でチャペル付きの会場を借り切って、双方の親族を招いての食事会を行ったということです。
これは闘病中の篠原の父に娘のウエディングドレス姿を見せるために夫妻が企画したようです。

様々な事情で、挙式・披露宴を行っていなかった2人だけに、篠原の父親は感極まり涙!したそうです。
そして、娘の晴れ姿を見届けた3日後に篠原涼子さんの父は死去しました。

2012年2月には篠原涼子さんは第二子の次男を出産しているが、市村正親氏の母はこれを見届けるようにその翌日、死去しました。

ネットの反応は?

まとめ

今回は、篠原涼子さんと市村正親氏の離婚について、離婚理由や経緯、子供の親権などの今後について、24歳もの離れた超年齢差婚で不倫や略奪愛とも言われた2人の馴れ初めについても、調べお知らせしました。

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