高市早苗の子供や孫は?夫との離婚理由は?馴れ初めや結婚についても!

2021年9月29日の自民党総裁選で岸田文議員に敗れるも、自民党政調会長となった高市早苗議員。

今回は高市早苗議員について、子供や孫について、夫との離婚理由について、夫との馴れ初めや結婚についても調べお知らせします。

画像引用:ホフポスト

高市早苗の子供や孫は?

高市早苗に子供はいる?

高市早苗議員は、43歳のときに山本拓議員と結婚しました。

結婚後、十分、妊娠・出産が可能な年齢ではありましたが、子供に恵まれず、不妊治療を経ても甲斐なく、高市早苗議員と山本拓議員の間には子供ができませんでした。

あまりにも私的な事で恐縮ですが、残念ながら私の身体は、婦人科の病気で手術をしてから妊娠や出産が困難な状態にあるようで、子供を授かることを切望しつつも諦めた次第です(血は繋がらないものの素直でかわいい息子や娘が居りますので、十分幸せですが)

引用:高市早苗公式ページ

高市早苗議員と山本拓議員の間には、子供に恵まれませんでしたが、山本拓議員の前妻との子の連れ子が3人います。

高市早苗議員とは、血の繋がりはありませんが、本当の身内のように交流されていたようです。

一部ネットでは、3人の養子と書いているページも在りますが、3人は養子でなく山本拓議員の前妻との連れ子です。

2人は2004年9月に結婚。高市氏は43歳、9歳年上の山本氏はバツイチで、前妻との間に3人の子供がいた。

引用:週刊文春

3人の連れ子は、長女、長男、次女の順番で、長男山本建氏については、福井県議会議員をしていて、生年月日も1984年2月18日と公開されています。

3人の子供の年齢から考えても、高市早苗議員と山本拓議員が結婚した時(2004年)には、長男・山本建氏は、20歳ということになりますので、山本建氏が、高市早苗議員と山本拓議員の養子でなく、山本拓議員の連れ子であることが分かります。山本建氏より年上の姉や年下の妹も、山本建氏に近い年齢の可能性が考えられますので、3人共が、山本拓議員の前妻との連れ子と考えられます。

  • 長女:田中涼子(山本拓議員の連れ子、既婚)
  • 長男:山本建(養子・既婚)
  • 次女:高山杏子(養子・既婚)

山本建氏のFacebookの家族と交際のステータスを見ると、確認できます。

引用:Facebook

高市早苗は連れ子との関係は良好

高市早苗議員が結婚した後、3年後の2007年に長男に孫が生まれています。

その時の様子が、高市早苗公式サイトに記されています。

11月3日夜、選挙区に居た私の長男から電話が入りました。「産まれたよ!男の子。お医者さんに、元気すぎるって言われた。おばあちゃんだね。エヘヘ・・」。

46歳で「おばあちゃん」になったことを少々ショックに感じつつも、電話を切った後、嬉し涙が溢れました。

引用:高市早苗公式サイト

とかなり親しげ話し方に、関係が良好なことが分かりますね!

高市早苗の孫は何人?4人?

高市早苗議員には、すでに孫もいるようです。孫の人数は、先に掲載の山本建氏のFacebookの家族と交際のステータスからわかります。

まず、山本建氏の息子が蓮さんが1人、山本建氏の姉・田中涼子さんのプロフィール写真は本人とお子さん1人で写っていているのでお姉さんに1人、妹・高山杏子さんのプロフィールには2人のお子さんが写っています。

よって、高市早苗さんのお孫さんは、4人である可能性が高い考えられます。

高市早苗と山本拓の離婚原因は?

高い早苗と山本拓の離婚発表

高市早苗議員と山本拓議員は、2017年7月19日に離婚し、13年間に渡る結婚生活にピリオドを打ちました。

公表された二人が離婚した理由は、

「互いの政治的スタンスの違いが大きく、それぞれに信念を貫いて政策活動に没頭したいという結論に至りました。」

と公表されています。

しかし、真実ははっきりしませんが、下記のような噂もあります。

高市早苗と山本拓の離婚原因は「森喜朗の愛人」だった?

高市早苗議員と山本拓議員の離婚理由として、高市早苗議員が森喜朗元首相の愛人だったからではと言う噂もあるようです。

この噂の発端は、過去に雑誌『噂の真相』で「ひぇー、売女の高市早苗、ゲス高市!森喜朗元総理と出世のために肉体関係!森は臆面もなく結婚式に!」と画像付きで紹介されたことが原因のようです。

当時は大きな話題にもなりましたが、その後記者が「事実誤認」として、記事の内容を撤回しています。

当事者達も否定している上、噂自体が起こった時は、高市早苗議員と山本拓議員の結婚前の話のようですし、これが事実だったとしたら、2人の結婚そのものがなかったことでしょう?!

「結婚前の00年前半頃には、森喜朗元総理(84)と噂になりました。当時、永田町界隈に怪文書がたびたび出回り、酷いものでは森元総理と高市氏のあられおないイラストもが描かれたものまで。結局、噂の域を出ることなく、当事者たちも否定していました」(政治ジャーナリスト)

引用:BIGLOBEニュース

高市早苗と山本拓の離婚原因は2人は「仮面夫婦」だったから?

高市早苗議員と山本拓議員の周囲は結婚当初から、「あの2人は長く続かないだろう。」と見られていたそうです。

2人が同僚として出会ったのは1994年、そして、結婚したのが2004年ですが、それまでの間、2人はほとんど口をきいたことが無かったそうです。

美人で「肉食」として知られる高市早苗議員にとって、9歳も年上でバツイチの山本拓議員は不釣り合いだと思う政治関係者も多かったそうです。

結婚の時には、夫・山本拓議員が食事を作るという契約もしていたそうです。

結婚後、家事が苦手な高市氏は、夫に作らせた料理を食べ、「だって結婚の時の契約だもん」と悪びれずに語っていた。

引用:日刊ゲンダイ

この噂も間違いかと思われます。

政界の”おしどり夫婦”と言われていた高市早苗議員と山本拓議員です。裏では”仮面夫婦”で表では”おしどり夫婦”ということを、14年間も続けることは難しいでしょう?!

高市早苗と山本拓の離婚原因は「互いの政治的スタンスの違いが大きかった」だったから?

上記の離婚理由は、上記の通り、ガセの可能性が高いです。

それならば、真実の離婚理由は何なのでしょう?

夫の山本拓議員は「妻がいるから大臣になれない」と愚痴をこぼしていたこともあるそうです。

「山本さんは“嫁が大臣だから自分はなれない”“嫁さんが主で俺が従だからつらいよね”とこぼしていたことがあるようです」

引用:デイリー新潮

高市早苗議員も周りから山本拓議員について、

女房のあなたが入閣しているから夫が大臣になれない
女房は一歩下がるべきだ

など言われることに嫌気がさしていたそうです。

それに対し、山本拓議員もずっと我慢していたそうです。

高市早苗議員は、離婚について、デイリー新潮(2017年8月3日)の取材に、次のように語っています。

高市早苗に対して、以下のことを山本拓議員から突然切り出されたそうです。

2人で暮らしている議員宿舎で夕食が終わり、主人がテレビを見ている横で、私が洗濯機を回したり、アイロンをかけていたりしたところ、突然、切り出されたんです。“ずっと我慢してきた”って。自民党が都議選に負けた後、党内で色々と意見が飛び交っていた頃合いでしたね。そんなときでも、私が3年近く閣内にいるため、言いたいことも言えなかったようなんです。“勉強会を立ち上げるのも我慢したし、政策を考えても言えなかった”って

引用:デイリー新潮

それに対して高市早苗議員は、「夫婦じゃなくなったら、あなたはもっと楽になれるんだよね」と行ったことで離婚に至ってしまったそうです。

「話の流れの中で“夫婦じゃなくなったら、あなたはもっと楽になれるんだよね”って、私の方から先に言っちゃったのかな……。それで、主人はドライですから、そのまま離婚届に判を押すことになったんです」

引用:デイリー新潮

これらのことは、高市早苗議員と山本拓議員の離婚発表の理由の

「互いの政治的スタンスの違いが大きく、それぞれに信念を貫いて政策活動に没頭したいという結論に至りました。」

と合致しますね!

山本拓議員が、結婚中は、妻・高市早苗議員が入閣しているために、言いたいこともいえなかった、妻に遠慮して、勉強会も立ち上げられなかったり、政策も出せなかったと言うことのようですね!

離婚によって、今後は、政治家として、高市早苗議員、山本拓議員それぞれの意向に従い動き発言し政策も出すということを決めたと言うことのようです。

2人の結婚によって、山本拓議員は、政治家としてはかなり窮屈な想いはしていたようですが、

決して、夫婦仲が悪くて離婚したわけではないようです。

2021年9月27日に行われた自民党総裁選では、山本拓議員は、高市早苗議員を応援しています。

高市早苗と山本拓の出会いや馴れ初めは?!

高市早苗と山本拓の馴れ初めは?

2人の馴れ初めには、弟・知嗣氏の存在が大きく関わっています。

2003年11月に高市早苗議員は落選してしまいます。

高市早苗議員の落選時、弟さんの再就職先(2004年)となったのが、山本拓事務所だったのです。

そういう縁で親しみを感じてはいましたが、山本拓議員は単なる同僚議員の一人でした。

そんなある日(2004年5月)、経済界の人たちと意見交換をする場で、山本拓議員と同席をする機会が有りました。

雑談の中で、企業役員の方から、

今のうちに高市さんに結婚相手を見つけてあげなければなりませんね

と話しを向けられたそうです。

高市早苗議員も、

ちょうど結婚を前向きに検討したくなっていたところですので、御社の社員さんで良い方が居られたらお世話して下さいね

と応じたそうです。

その後(2004年6月)に山本拓議員から電話が掛かってきて、

真剣に結婚相手を探しておられるんでしたら、僕もバツイチですので、立候補しますよ

と、突然のプロポーズ?があったそうです。

山本拓議員の性格などをよく知らなかった高市早苗議員でしたが、

前向きに結婚を望んで入るタイミングでこんなお話をいただいたのも、貴重なご縁かな

と考え、1週間後(2004年6月)にはOKの返事の電話をしたそうです。

その後(2004年9月)、電話とメールのやり取りで入籍に向けた段取りを進めました。

そして、2004年11月には、結婚式・披露宴を行いました。

 

と、かなりのスピード婚でした。

高市早苗議員と山本拓議員の2人は、国会議員であり同じ清和会に所属していて、古くから面識はあったそうです。

高市早苗議員は、山本拓議員のことを「割と無愛想な人で、どちらかと言えば苦手な相手」だったそうです。

一方で、山本拓議員も、高市早苗議員のことを「正確きつそうな女性だなあ」と悪印象を持っていたそうです。

そんなお互いを苦手同士に思っていた二人が、高市早苗議員の落選を機に急接近し急スピードで結婚しました。

結婚前や結婚は、ロマンチックもないような状態でしたが、その後、”政界のおしどり夫婦”と呼ばれるほど、仲良し夫婦になります。

高市早苗のネットの声(期待の声)

まとめ

今回は高市早苗議員について、子供や孫について、夫との離婚理由について、夫との馴れ初めや結婚についても調べお知らせしました。

 

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